トップページ
 古本ショッピング
 書評
 通信販売法に基づく表記
 お問合せ


 

 


日付:

 

2009/5/17

タイトル:
「市民」とは誰か
著者:

佐伯啓思

出版社:

PHP研究所

書評:

 

 近頃とみに文芸作品のダイジェスト版やエッセンスの類の出版が目につく。後日、本格的に取り組むためのぶ厚い原書や翻訳書のガイドブックでしかない<新書>も、今やベストセラー続出で、空前のブームに湧いている。仮に、ひとつのテーマで半ダースを読破したら、体系的な学術書一巻に勝るとも劣らない世界観が確立出来るかも知れない、そんなノリである。若い読者層の間でコミック本の隆盛ぶりも相変わらずだ。これらポストモダンな現象の功罪に就いては大方が否定的に論じられていたが、どうやら形勢逆転の感がある。偶々、手にした出色の本書だが、200ページ足らずにしては頗る中身が濃い。

 我国の封建社会で培われた庶民感覚と、古代・中世ヨーロッパ以来の伝統的な市民意識とでは雲泥の差がある。著者は洋の東西を弁えぬ単純比較の盲点にまずメスを入れ、事実上は無自覚な符牒あわせでしかない我国の戦後民主主義の欺瞞性を暴き出す。「市民」−積年の想いの籠る生真面目な言葉にしては、薄っぺらでどこか素気ない。それもその筈、明治の昔から「市民」は語義上も「嗜眠」を貪って来た。「市民」とは何ぞや、そして市民社会とは? と改めて問い直す鮮やかな切り口は瞠目に値するが、渾身のアプローチにも拘らず、やはり多くの先人同様、満足な回答は得られない。持場を離れた文化は絵空事かレプリカが精々で、「市民」という言葉一つにしても釦の掛け違えをどうすることも出来ない。ヨーロッパはヨーロッパにしかないのだ。

 望みもしない文明という義足を嵌められ、文化が海を渡る、ということはあり得る。マルクス主義によって神話化されたフランス革命がそれだが、我国では偏向左翼の革命物語の十八番としてまことしやかに浸透した。しかし、現地では新たな学説が脚光を浴び始め、固定観念が覆されようとしている。もし、このことでヨーロッパ正史が書き換えられでもしたら、我国の欧化は誤った情報リークによるガセネタを叩き台にしていたことになる。ヨーロッパに階級闘争はなかったし、ヨーロッパは何も変わっていない。王侯貴族の優雅な城郭の佇まいと、長閑な田園風景は昔のままである。

 「和魂洋才」を単なる旧懐の情で終わらせてはならない。熱烈な欧化主義者の福沢諭吉が、当時、一見矛盾する「士人の気風」を説いたのも賢明な水際対策であった。著者が本書で描こうとした戦後日本の知的風景のありようを、ランボーが詩情たっぷりに歌い上げ、いみじくも決別したヨーロッパと比較してみるのもあながち無粋ではなさそうである。

  季節(とき)が流れる、お城が見える。
  無疵な魂(もの)など、何処にあろう。

  俺の手懸けた幸福の秘法を誰が遁れ

      よう

  ゴールの鶏が鳴くたびに幸福にはお辞儀

      しろ

                中原中也(訳)

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


全目録 海外文学 日本文学 芸術・デザイン 宗教・哲学・科学 思想・社会・歴史 政治・経済・法律 趣味・教養・娯楽 文庫・新書 リフォーム本 その他