タイトル自体、想像力の欠如が透けて見え、のっけから奇妙な感じに包まれる。醒めた狂気と言い換えたところで、言葉遊びでしかない。ことは男女間の問題だ。肉感的な剥き出し状態で燃え尽きる。そんな断定も当然潜むだろう。ひとつのケジメとしてなら、この即物的な潔さ、−いくらか大目に見られるかも知れない。
しかし、この小説の作者は、名門の血をひくベテラン教師で、思春期の息子二人を抱えた離婚暦のある母である。10歳も年下の妻子ある男との不倫に無我夢中という訳にはいかない筈だ。しかも、老母の介護から開放されて、まだ日が浅いのだ。
花も実もある生活から距離を措き、自分自身を括弧で括る。片時も男のことを忘れず、唯ひたすら(ー恐らく原則的に)シンプルであろうとする。読者は破産状態の物語に引き摺り込まれ、いきなりポルノ映画のワンシーンに立ち会わされる。
ちなみに、この猥雑という観念すら一瞬のうちに蕩尽する圧倒的な単純さはどうだろう。枝から撃ち落された小鳥の地面までの垂線が彼女の生きる世界だ。ひょっとして彼女自身、「時間の死」を何処までも生き抜いてVTRのテープのように擦り切れるかも知れない。ひとはどんな状況に置かれようとも何者かであろうとする。
人間の本性は全体性の欠如の中にこそ端的に現れる。断片的な記述で二次加工された自家製の「激しい恋」に敢えて異議申し立てはしないが、同調もしたくない。唯、用心深い読者がいるとだけは言って置かなければなるまい。
「私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。」ーこんなミーハー振りは誰よりも先に御免こうむりたい処だし、第一、「以前より深く世界に結びつくことが出来た」かどうか、のっぴきならぬ彼女以外、手の付けようがないではないか。
もし操縦を誤って波に転落したとしても、レトリック以前の問題だ。賛否両論もノイズを出ない。 |