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日付:

2005/08/19

タイトル:
詩集 遺書
著者:
西村皎三
出版社:
揚子江社出版部
書評:

 

 何気なく開いた本のページに心を奪われ、時たま眼を釘付けにされることがある。久し振りに神田へ出て、神保町界隈を歩き廻り、さて、例の如く自分なりの手ごたえを感じて引き上げようとしたのだが、最後に立ち寄った店でこのハプニングに襲われた。

 時間あわせの積りだから、是と言った目当てはない。暫く棚を物色していると、偶々、手にした本からハラリと口絵写真が落ちた。見ればほかにも四・五葉が糊代から剥離していて、危うく床に散らばる処だった。そのうちの一枚が胸にじんと来たのだ。ざっと眺めただけでレジを通し、兎も角、車中でもう一度、その場の気分をなぞろうと駅へ向かった。

 戦争詩である。私に衝動買いをさせたのは、戦地カメラマンの撮影した洗濯場の女の写真だった。覆る砲車や、敵機の残骸やらで、惨たらしい廃墟と化した現地でのワンシーンだが、追い詰められた二人の女の内面の不安が河の面に漣を立てている。その緊迫した光景こそ、その時の私を心の裏側から染め上げた幼少の頃の戦争体験でもあったのだ。

 壁といわず窓といわず、またぞろ郷愁の虫かなんぞのように処構わず這い回わられたのでは敵わない。しかし、生活の匂いが硝煙に掻き消された茜色の空にではなく、本物の戦争といえば、やはり武器を持った男達の陣営にこそ相応しいのではないか、と思い直してみた。その見立ては正しかった。現場の鼓動を伝えて、これ程までに感動的な詩を私はほかに知らない。著者は満州事変当時、陸軍主計局の副官として突撃部隊とともに前線活動に当たっていた。

 この師団には好戦的な気分というものがない。もし挑発に乗るようなら、智謀の人が姦計の徒と膝を交えるようなものだ。大義名分も何処吹く風の兵舎には、ギリシア・ローマ彫刻にも似た雄々しい闘士の姿があった。

 生きて帰つたといふことは

 なぜ、こんなにも落莫たるものであらうか

 飛行服もぬがず

 ひつそりと 木かげに黙つてしゃがんで

 自分の小鳥に餌をやつてゐる

 草の葉を

 いつもよりも細かくちぎつてちぎつて

 それがなくなつてしまふと

 草色に染んだ自分の指先をたべさしてゐる

 兵士の帰還を歌った、この「小鳥」と題された詩はどうだろう。臍下丹田から湧き上がるオーラに包まれて、思わず目頭が熱くなる。さらりとした上に慎み深くもあるニヒリズム。文武両道に亘り無冠の王であった著者の、本能的な気品さえ感じられる。ひとは如何なる状況下であれ、規律と節度で、かくも格調高く、おのれを支え切れるものなのか。

 最後の一弾は己れのために残して置け。−上官の言葉を胸に秘め、「さればにや大空の青のなかに ただ手をふれり」と微笑んで赴いた戦地である。「雲々のあひまに」は確かに遺書の文字はない。だが、再び故国の土を踏むことで、文語(=戦争)から口語(=平和)へ。重い鎧兜を脱いだ手で、激動の昭和から、戦争体験を切り取り、みごとな日本語で甦らせてしまう。これは戦争を知らない世代への誇らしい遺言書でもある。

 総理の靖国神社参拝で、世論は揺れに揺れている。かってのナショナリズムと国民感情が矢面に立たされ、近隣諸国との溝は深まるばかりだ。眼の先判断で部屋全体の模様替えをしょうなどとはもっての他である。教科書問題にしてからがポーズに過ぎまい。そういう手合いこそ、何はともあれ、この本を読んで貰いたい。−戦争とは何か?まともな問いあっての答えではなかろうか。

 

 


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