スピリチュアリストは精神分析医にとっては些かありがた迷惑な隣人である。あるクライアントの質問に「前世?生まれ変わり?馬鹿なこと言いなさんな」と一旦は取り合わなかったものの、ハテ、これでいいのだろうか?と自問自答することから本書は始まっている。前世療法、パワーストーン等々、若者を中心に奇妙な期待を伴う社会現象となって巷に氾濫する用語・グッズ・実践例は、民間レベルの閾値を越えて専門家を悩まし続ける。仮令一過性のものであれ、常に時代の先端的な装いを凝らして現われるマニアックな風潮をイカモノ食いと一笑に付すだけなら「科学」とは一体何なのか?ということにもなろう。だが現状は急ごしらえで当てずっぽうな用語法から欺瞞臭を嗅ぎわけるのが精一杯のようである。ちなみに「潜在意識」は「深層心理」のことでもあるが「深層意識」とは言わない。スピリチュアリストには<変性意識>という重要概念があり、学術用語にない深層意識はその後付の俄か土俵である。もともとメスの要らない霊感の世界でなら、「材料」がいつ「材質」に擦り代えられてもおかしくはないし、これなどはほんの一例に過ぎない。
夢見るは愚か、と何かの本に書いてあった。この世のしくみをよく理解した者があの世の旅を楽しめるとしたら、彼等のイケシャーシャーとした言動の多くは胡散臭さを感じる以前に、既にどこかおかしい。深入りしようにも浅瀬に乗り上げるだけの底の浅い自称スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之先生である。著者は社会心理学者のスタンスのまま、このとなりのトトロめくのっぺりとした妖怪を敬して遠ざけると同時に世相を鳥瞰する。今やノリノリの瀬戸内寂静、林真理子ほか自己逃避型のお立ち台はミーハー天国と化し、変成男子のいでたちで野菜畑を耕す野上千鶴子一党の周辺には臭い夢が飛び散る。この世の空気に馴染めなかった池田晶子先生は既に他界し、今では本書の香山リカ女史一人、清廉潔白な<個の世界>で大奮闘である。ところで先生、お出かけの際は絶対にマスクを忘れないでね。(−オッとこれは私語)
幽霊に足がつくと幽霊でなくなるのだろうか? となればスピリチュアリズムは永久に科学ではないことになる。「ホレーショよ、この世には哲学では思いもよらぬ不思議があるのだ」―このハムレット一流の名セリフは、ゴースト現象に学者が立ち会う<降霊術>とともに古くて新しい人類永遠のパラドックスでもあった。しかし何故か日常用語化した昨今の前世譚にはオカルト本来のおどろおどろしさはない、そこに希望を感じるか不気味な予兆を読み取るかは、人それぞれの生きざまにかかっている。
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