読了後、思わず背筋が寒くなった。その理由の一つはこれが紛れもない実話であるということ。もう一つは、この手記にある世界は私たちの住む社会の元型か未来形ではあるまいかと恐れを抱くに至ったこと。平和とはよくよく考えてみれば思い当たることだが、安定恐慌の別名であり、自由の名のもとに語義矛盾を忘れた延命生活の一過程に過ぎない。ヴァレリーが「精神の危機」でいみじくも語っているように、「平和とは絶えざる意志と緊張のいわば闘争状態であって戦争以上に残酷なもの」なのかも知れない。一体誰が軍事独裁政権を平和のための手段ではないと言い切れよう。民主主義社会といえども、たよりない道具立てに過ぎず、いつ亡国の思想に結びつかないとも限らないではないか。精神の危機はヴァレリーにとって<ヨーロッパの没落>であり、安手の商標登録となって越境し売買可能となった知性の運命でもあった。私はこの本に就いて事細かに書き立てたり、政治的な発言を云々したりする積りはないし、その資格も持ち合わせてはいない。このエクソダスと対になった内部告発が一少女の体験を通して芥川賞新人作家も遥かに及ばない筆力で描かれていることに、唯々、感嘆するばかりである。アベルとカインの時代よりこの方、驚嘆とは至高の神の沈黙を意味していた。それこそ、よくもわるくも私たちにとっての信仰なのである。
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