事実は小説以上に奇怪だが、その極めつきが歴史である。権力が如何に魔性の虜となるかを物語る典型的な例が推古天皇の即位であった。伊豫風土記に当時の聖徳太子の故事がこう記されている。「神井に沐して、病を癒す」と。これをキーワードにしたパトグラフィーの手法で女帝誕生の闇を暴こうとしたのが本書である。作家ならではの大胆な推理が巧みな構想と相俟って、小説以上に小説的な出来栄えのドキュメンタリードラマとなった。
幼少の太子の献身的な看護も空しく病に倒れた父・用命天皇、未亡人となった実母は太子とは腹違いの兄と不義密通の仲になる。崇俊天皇暗殺のショッキングな事件では濡れ衣を着せられた上に、真犯人に正妻を寝取られる。一方、不祥事に巻き込まれた一人息子・山背の大兄の王からは背かれて、八方破れとなった聖徳太子は孤立無援の侭、都を後にする。病名は定かではないが、劣悪な環境と家族崩壊が原因のノイローゼというのが著者の説。本命追放によって権力を手中に収めた名うての猛女には、背後で彼女を操る実力者の蘇我の馬子がいる。かつて宿敵・物部氏征伐に武人として名声のあった太子を起用した人物だ。30年余の女帝の在位が決して短くないことは、太子が49歳で逝去した事実とリンクすることで判明する。太子こそ権謀術数のスケープゴートであった。だが、世継ぎの我が子を失った女帝の召還で摂政として復帰、その後の太子の業績は史上に見られるとおりである。そもそも断続的な事実の積み重ねが歴史というものであり、思い込みと意外性の入り込む余地は幾らもあろう。しかし、著者の筆が冴える推古天皇の生々しさに較べて、本書に描かれた太子像はその筆数にも拘らず何処か謎めいている。スーパースターへの国民感情を慮るリップサービスのせいであろうか。
底辺は同じでも異貌の頂点が競い合う民主主義、ポピュラーな定説も見る角度によっては高さと深度の錯覚が生じてしまうのかも知れない。
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