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日付:

2006/03/19

タイトル:
[完訳] 象徴主義の文学運動
著者:

アーサー・シモンズ/山形和美 (訳)

出版社:

平凡社

書評:
 

 岩野泡鳴のとんでもない誤訳本に始まり、翻訳の異本も数多い本書だが、今回のは、初版と改訂増補版の原文を細大漏らさず網羅した完訳本である。マラルメ、ヴェルレーヌの詩が随所に盛り込まれていることで一層、原義に親しむことが出来る。我国の象徴主義理解も漸く今日、一定のレベルに達したようだが、充分こなれた訳文と相俟って、本書にはなんの違和感もない。但し、ユイスマンスの項は本邦では初訳。

 異文化の交流に言語の横断的な役割は不可欠だが、相互理解が進むことで、音楽や絵画・彫刻にはない深刻な問題を抱え込むこととなる。言語の根に触れた象徴主義の文学運動は歴史の必然でもあった。夫々の母国語を厳密な定義によって事物の根源にまで引き摺り込まざるを得ない象徴主義。−ポーやネルヴァルの翻訳による秘かな言語移籍は、その先駆けであった。シモンズも抜群の語学力を生かして、同世代の文学者と交わり、宗祖・マラルメの壮大な言語空間に接近することで、本人自身が思いもよらぬ重要な役割を果たしていた。即ち、象徴主義こそ言語の通底器官であり、最大公約数である、という偉大な発見である。母国語の花は枯れるが、象徴の花は枯れることがない。

 それにしてもワグナーを本命とする解釈は誤解を生じやすい。晩年のニーチェも認めざるを得なかった演出過多は、悪質なコケオドシとして、「火曜会」の常連の口の端に昇ることは慎重に排除されていた筈である。サルトルは自説の開陳にマラルメの物語をそっくりその侭、しかも文体に到るまで援用している。しかし、吉本隆明は象徴主義の文脈に影<レプリカ>の複合語を代入するだけで、複雑な糸玉の縺れを解いた。これによると、ドビュッシーは影、ワグナーはレプリカということになり、サルトルは両者の統合に失敗して、実存主義の泥沼を這い回っただけとなる。

 美を正確に理解することは難しい。実体に伴う影のようなものでもないから、一外国人に過ぎない新参者が、部分的にせよ、側近のヴァレリー以上の理解を示したとしても可笑しくはない。シモンズが一番語りたかったのがマラルメだからであろう。

 

 

 


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