「怪力乱神を語らず」は仁の世界に礼節の爆弾を抱えて座り込んだ孔子のマニフェスト。掃いて捨てるほどの才能に恵まれながら、なにせあの鬼面ひとを驚かすキャラクターである。冠位登用は覚束ない。そんな自分とどう折り合いをつけようにも、過剰防衛の裏返しが自己韜晦なら、元々、分相応もなにもないではないか。肝心のテキストにしてからが肉体を欠いている。本性を磨き給え、君が聖人君子ならね。踏み絵ならぬ自家撞着の罠というものであろう。
勢い天下国家が矢面に上げられる。揃いも揃って現世享楽主義の為政者達。仏教の厭世思想とは縁もゆかりもない劣等人種達。ちなみに中国三千年の欲望の体系が一斉に牙を剥いて襲いかかりでもしたら、地球はひとたまりもないだろう。してみると「論語」一巻の解毒作用は天の配剤、ホメオスタシーと言えよう。尤も「酒池肉林」が本書のテーマである。野暮な話はご法度なのだが。
始めに神ありき。―神ならぬひとの身で権力を掌握するには、親殺しが自明の前提とならねばならない。こうして帝王学の最初のページは血に染められ、さて、俄か仕込みの宇宙神の当面の急務と言えば空間恐怖症の荒療治、途轍もない文化遺産は倒錯者の痛ましい爪あとなのだ。かくて暴君の快楽装置のネジは巻かれ、徐々にソフィスケートされつつ栄枯盛衰を繰り返す。秀抜な<まえがき>は絢爛豪華な王朝絵巻が施された艶やかな扇の要にあたる。
バーバリアン憎し、の臆面もない敵愾心から文献考証は精緻を極め、殷の紂王のわけのわからぬ贅沢三昧に弾みがつくや、残酷極まりない秦の始皇帝の行状へと、矢も楯も堪らず駆けつけた怪物退治の興奮はピークに達する。この魑魅魍魎の跋扈する奢侈の廃品カタログは、新興六朝貴族の優雅洗練やら、書家・王義之の静謐、大詩人・李白の胸の透くエピソード等々、身一点に生きる天才の情緒豊な逸脱を一服の清涼剤としながら、商魂逞しいコミックな市井の性豪の波乱万丈を横目で睨み、官民癒着の重層的奢侈の構造を白日の下に暴きだす。宦官制度が裏目に出た為政者の失脚には取分け多くのページを割き、エクスタシーの泥沼で悶絶する美女数千人、―これら凄まじい故事来歴は、そんじょそこらのチマチマした狼藉とは較べものにならない。地球というエコシステムが文化の名で破壊されようとしている今日、本書の持つ啓蒙的意義はまことに図り知れない。
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