これはとある戦時下の物語。ニユーヨークの住宅街の一角に伊達男たちが足繁く通うサロンがあった。そこの女主人は独特の美学の持ち主で、しばしばエスコートする側の男たちを手古摺らせていた。ーまだ若い私に宝石なんか似合わない。でも、朝食摂るならティファニーにしてね。ーこれではまるでスフィンクスの謎解きゲームだ。そのほかにも、女優としてスターダムには乗らないこと、という決め事があり、これが取分け難題で、さしものスポンサーも煙に捲かれてしまう。だが、最も不可解なのは、彼女の住むアパートの郵便箱や部屋の扉に何故かいつも、ミス・ホリディ・ゴライトリー、旅行中(トラヴェリング)、と書かれた名刺が貼り付けられていることだった。
そんな彼女を取り巻いて、大都会の倦怠(アンニュイ)にどっぷり浸かつた名士たちの様々な人間模様が繰り広げられ、戦死した彼女の弟にそっくりの、作家志望の男友達によって、謎めいた女性の正体が明らかにされていく。
この当世風の魔女は都会が好きだ。騒々しい日陰であれば尚更のこと。彼女にはアプリオリな定見も唯一絶対の価値観もない。善悪にめかたが懸かるのも気分次第。愛も死も方向の差だ。かくして常に、彼女の不在の中身は、ミス・ホリディ・ゴライトリー、旅行中。でなければならない。
一時、心を奪われた外交官との恋も破局と同時に相対化され、蜜月旅行のためのチヤーター機は彼女ひとりの逃避行に使われる。こうして、退屈な田舎を飛び出した14歳の少女は、現代版「嵐が丘」のキヤサリンよろしく、宴の幕を降ろして
再び大空のひととなる。
カポーティはエズラ・パウンドやジョイスに連なるアメリカ文学のエポック・メーカーでポスト・モダーンの旗手。時代の風潮を敏感に察知したリリシズムと登場人物の精緻な性格描写で多くのファンを魅了している。まさに本書に於けるモラトリアムは天の配剤、特に型破りな女主人公のノンシャランな一回性は頗る粋でカポーティ的なのだ。是非、一読をお薦めしたい傑作。
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