哲学者アランの夙に知られた定義癖はまことに容赦のないもので、伝言板の些細なメッセージに至るまで敲き台に載せて「もの」として立ち上がらせてしまう。場合によってはマナーを疑われかねない格闘技のような凄まじい言語操作さえある。だが、産み出された言葉は、退屈な日常語圏の雑然とした馴れ合いから体ごと免れる。ピカソのデフォルメされた女の顔のように、文法の網に掬われた語がぴちぴちと跳ね回り背や腹を光らせている。みたとおりの語勢だから、存分に想いの丈を伸ばしてはいるのだろう。だが、正解はこれしかないという数学的な発見によって、私たちは二度、驚かされることになるのだ。
本書は「落胆」から「宗教」までの210語に就いての定義を講壇の口述に基づきランダムに列記したもの。とは言え、それらはマンション一棟の構造にも値しない素材の辞書的な網羅ではなく、何かおおきな目的に添った構造物の精妙なパーツかなにかのように手元に散らばっている。海洋の波のうねりは途轍もない抱負を感じさせはするが、波打ち際の諦めに似た哄笑をよしとして終わるものではない。もしかしたら砂を被った貝殻やヒトデは計量済みの彼方の星の運行の備忘録かも知れない。何よりもアランは、日常的短絡を大義名分とした節約言語を忌み嫌った。だからこそ一層、かような事柄を本分とする者にとっては全てを飲み込む恐るべきリヴァイサンでもあるのだ。
アランが全身全霊で主宰するイデアの宇宙的な祭事は、俳諧に通じるユニークな文学性によって、戦中・戦後にかけての我国の知識層にとりわけ馴染みが深い。アクロバティックなみせしめの啓蒙思想はその後も多くの読者をアラン・ワールドに誘い込む。
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