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日付:

2012/11/22

タイトル:
テスト氏
著者:

ポール・ヴァレリー /粟津則雄 訳

出版社:

福武書店

書評:

 

 面倒な他者の妨げもなく、身過ぎ世過ぎにも煩わされず、又、なんの先触れもなしに己の現存に点火された思考の花火。これが起爆剤となって20世紀型メタフィジックスの元祖・テスト氏の登場となった。私とは何者なのか?と自問しつつ見慣れない文脈の渦に巻き込まれて遠い記憶の帆が揺れる。途轍もない観念の爪あとにも拘らず寸毫の破れもない、寧ろ思考それ自体が目的の錬金術であれば、辻褄の合わないところにこそ突破口があるのだ。何はともあれ私は私、この自縄自縛の罠に囚われた魂の脱出劇(一体、何処へむけて?)は、秘教的で些か冒涜的でもある桃源郷、あのマラルメの火曜会の流れを汲むものに間違いはあるまい。常に冒険と癒しが身の上の傑作である。何の身構えもなく現われ出ることはない。ライバル同士の牽制は無論のこと、百花繚乱の世紀末思潮の先陣争いの渦中にあって、この内面のドラマは厳密であるにも拘らず殆ど音楽的で曖昧であり、その中身は自画自賛のプロテストに留まらず、御本尊丸抱えのマニフェストの類でもなかった。甘く奏でられたメロディアスな主題はマラルメを髣髴とさせ、軽いリズミカルなトーンに至っては文学の数学的解体作業の槌音のようで、全体としては師弟合体のキマイラのように思われる。破格の隣人・テスト氏を廻る一連の証言には作者の細心の注意が払われているが、透徹した斧が思考の深みに打ち下ろされる時、一番まじかでふるえを感じとるのはエミリー夫人にほかならない。その仲睦まじさに定評のある二人が、知的関心事にのみ執して頷き合うだけであれば、世間的にみて、これほど不気味な夫婦もないだろう。そこは心得たもので「エミリー・テスト夫人の手紙」がとりわけ感動的なのは作者が一級のレトリシャンである証拠である。ざっと一読しただけで、ランボーの「地獄の季節」の焼き直しか別バージョンとわかるが、パンドラの妖精が素足を伸ばす、綺麗に刈り込まれた芝生もある。そればかりか、日曜日のミサに欠かさず通う信心深い夫人には、まごうかたなく親密で善意に満ちたもう一つの観点があって、この懺悔聴聞僧の助言も中々だ。要約するとこんな風になる。 

 失礼ながら奥様、どうやらご主人は一風変わった信仰をお持ちのようですな。もし、そこを一歩でも踏み出そうものなら、心臓といわず臓器といわず、あらゆる器官が活動をやめ、悪魔でさえ恐れをなして退散してしまう、そんな出口のない迷宮のような、頭を砕かれた噴水がざわめき落ちる廃園のような、実に危うい場所に立っておられます。神がご自身の足跡を私たちの眼の前から消してしまわれたのは、ご主人のような不幸な方のためで、神と自己、自己と自己の閾を高くするか低くするかはこちら側の問題ではない、と気づいて貰いたいためかも知れませんね。
  
 奇怪な未完の大作「サイコロの一振り」に、「果てしない旅の船のない難破/拳を振り上げた波しぶきのデモン」とマラルメは麗々しく書きとめた。その衣鉢を受けたヴァレリーはゲーテの格言をもじり、「まるで形容詞の庭ではないか、去りゆくは分類の墓場のみ」と大見得を切る。そしてさらにエミリー夫人の快活な挨拶でこの未曾有の形而上学的談話は用意周到に締め括られている。「それでは、ほんとうにいろいろ有難うございました。ご機嫌よくお過ごしくださいませ」

 

 

 


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