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日付:

2005/11/26

タイトル:
哲学宗教日記
著者:
L.ウィトゲンシュタイン (鬼界彰夫・訳)
出版社:
講談社
書評:

 

 原文は「MS183」とあるだけで、邦題は訳者によるもの、死後40年以上経って公開された日記の全訳である。ウィトゲンシュタインと言えば、思想的にも硬派で取っ付きにくいイメージがあるが、この草稿で意外な一面が明らかとなった。極私的な記述や未消化なアイデアは後に修正を施す為か創作上のトリックとして暗号が用いられていた。その当時、人間的な強みや弱みやらを曝け出すには時期早々で、抵抗もあったのだろう。生前、親交の厚かった友人の手で封印を解かれた本書だが、今では暗号も、ほぼ完璧に解読されたらしい。

 生涯を貫く思想の実現の為には、自己流嫡もやむを得なかった。自ら十字架の人となり、語りえぬものから白紙までの領域をあたう限り拡張し、言語の星座たらしめんとした野心家である。その日常的な身辺雑記は、彼の心の深層で、恋人のこと、僚友のこと、教え子のこと等が、渦を描き、屈折し錯綜しながら、複雑な襞を折る。これ程、情に溢れた奥深い眼差しもあったのかと、感歎擱くあたわざる記述が続く。

 熱烈なトルストイアンでもあった彼に、献身的な人道主義がどのように骨肉化されていたかは分らない。戦地で背嚢を背負った彼の写真と、杖を携えたトルストイの巡礼姿はあまりにも良く似ている。まるで一対のボランティアの星を見るようだ。しかし、奇行が誠実さの証となると、俄かに話が謎めいて来る。仮に彼の前に、恋人が現れたとしょう。彼は必ずや哲学者として恋人を愛する筈だ。恋愛の哲学の始まりである。しかも、普遍項目に具体的事実を代入することで得られるのは、「生涯独身」と言う回答以外にはない。確かに独身は奇行ではない。割り切れないものは存在してはならない、その在り様が世間にとっては奇癖と映るのだ。これがメタ言語学者の道である。しかも、彼はそんな風にしか生を全うしょうとしなかった。全ての体験は苦悩の原石でしかない。

 およそ従来の方法とは似ても似つかないやり方で、彼は哲学する。と言うよりは沈思黙考する。彼のセミナーはどのカルト教団にもない奇矯な儀式で受講生を圧倒したらしい。網に架かってもがき続ける雀のように、表現の罠に堕ち、身振り手振りで時間を使い切ったこともあると言う。 加えて休暇中の少年への暴行事件である。どうやら善と同時に悪を勘定に入れなければ造物主の心中は理解出来ないらしい。洞窟に幾つかの石を投じ、その反響で内部の構造を推し測る。こんな行き当たりばったりを、よもや哲学とは誰も思うまい。 師ラッセル卿との決別は宿命であった。

 彼(=バートランド・ラッセル)の精緻を極めた論理構造の歯車のひとつを外してしまい、仕組みそのもではなく、歯車自体を問題にしたと思えばよい。天才の悪ふざけと言えば、唯、それだけのことである。具体的事実が形而上学の手を借りるなど、師の念頭になかったことにもなる。

 ウィトゲンシュタインにとって日記とは、多くの謎にノンブルを振ること以上の意味はないのかも知れない。

 

 

 

 


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