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日付:

2013/05/09

タイトル:
新訳 地下室の記録
著者:

ドストエフスキー/亀山郁夫(訳) 

出版社:

集英社

書評:

 

  地下道の暗闇をうろちょろする惨めな一匹の鼠くらいのニュアンスは籠められているだろうが、この物語の舞台は物理的環境としての地下室ではない。まして反社会的な活動に挺身する危険分子のアジトなどではなく、人生の貸借対照表を清算して世間から引篭もる初老の男が、身も世もあらぬ痴れ事を喚き散らしているのは、ごくありふれた貧しいアパートの一室なのである。尤も、奇妙な同居人が主従顛倒をものともせずに隣室に控えていて主人公の孤立無援状態をさらに際立たせてはいるのだが。「私は病んでいる」という当時としては衝撃的な書き出しに始まるこの告白録は、私小説の原型となってフランス文学とは別の流派を形成し我国の近代文学に少なからぬ影響を与えた。当時の西欧かぶれの文壇には、朔太郎の言い草ではないが「フランスからは余りにも遠い」人たちがいたのだ。

   だが、「病い」とは言え、精神分析医やフロイト主義者の冷徹なメスが入ることで完治したりしなかったりする抑圧された性欲の深層心理におけるコンプレックスのことではない。もっと泥臭くてユーモラスな諸感情は民族性に起因し、その大陸性さえ天引きすればアジアの一島国である我国とは隣人的性格ゆえに充分シンパシーを感じ得るものなのかもしれない。ジイドやヴァレリーの自意識はヨーロッパ文明社会の思考の袋小路にあたるものだが、ドストエフスキーのそれはロシアの泥の深さである。どちらも病んでいることに変わりはないのだが、自分の背丈に合わせた本書の主人公の世界観の方がより複雑怪奇でともすると支離滅裂な様相を呈することにもなる。

   ドストエフスキーにとって自家薬籠中のものである夢想家とは現実に直面した場合にその本性が弱点となって剥き出しになる極端な理想主義者のことだが、如何なる饒舌を持ってしても闇の深さに抗い得ない<絶望の快楽>にこそ言い得て妙な本書の総括があるのかもしれない。何故なら、エゴイズムを克服した人格の完成は人類愛の体現者であるキリストにしか為しえない人類の永遠の課題であるからだ。神の指が触れたときいきなり群として存在してしまう動植物と違って、一瞬存在を躊躇ったホモサピエンスの個としての自覚が人間悲喜劇の幕開けであった。アンチヒーローとして登場する、この尊大で限りなく卑小な、底意地の悪さを自認する八方破れの正直者は、世間とは全く没交渉で何かにつけ無防備ながらも、不発弾を炸裂させる天与の才があり、いつでも何処でも忌憚なく発揮することが出来る。安っぽい幸福と高められた苦悩の狭間にあって、「生きた生活」はそのどちらにあるのか、と言うのが地下室の住人のテーマではあるのだが、この主人公の眼に世界は我慢のならない喧騒の渦を巻きながら、寧ろ整然としており、後ろ向きではあるがランボー的な呪詛に貫かれた痛ましい生活信条とは水と油のような関係である。あくまでも嫌悪すべき隣人としての自意識は後者を後押ししていることに間違いはなさそうである。

   「白夜」「永遠の夫」など、愛すべき初期作品群と異なり、恐らく著者自身が厄病神のように嫌悪しただろう本書はドストエフスキー往年の代表作「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」ほか五大長編作品の主調低音ともなり、図らずも新世界を築き上げることとなった磐石の踏み絵ともジャンプ台とも言えよう。

 

 

 

 


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