巫女の御託宣は憑依したものが正体を現さない限り、中身の信憑性に就いて云々したところでどうにもならない、触らぬ神に祟りなしで、信者の信仰の度合と信者数に比例するだけ、傍から水をさすようなものだろう。実験科学風に仮説と見立てたところでナンセンス。ところが皮肉なことに、数式が事実上の問題提起となった「特殊相対性理論」も、ノーベル賞の授賞論文「光電効果の研究」も、科学に絶対の物差しはないという自縄自縛の破産宣言なのである。ニュートン以来の業績と称賛されたこの型破りの手法は、虎穴にいらずんば虎子を得ずの諺通り、似非科学を見破り、一方では学会と教会の対立概念を無効にした。神の指紋は聖書のどのページにもなく、方程式にその足跡を探すのも無駄事と思われた。寸毫の狂いもない宇宙の崇高なしくみに目覚めた瞬間、脳の攪拌器の中で憧れと懼れの渦はおさまり、神は単なる強迫観念に過ぎなかったことを知る。確かに刑罰に頭を抱え込んだり、死後褒賞をあてこむだけの人生なんてつまらないに決まっている。アインシュタインは、この創造的で破壊的な宇宙教の開祖としてデモクリトス、アッシジのフランシスコ、スピノザの三賢人をあげている。自らの感情を成長の糧とした幾分自虐的で、この殆ど献身的とも言いうる全生涯の研究遺産は科学の版図を大幅に塗り替えた。世界は己の信じる言葉の働きによってのみ生きる。極めつけはどの理論にも寿命があるというメタ科学だが、この自家良薬は「歩いている間に考え出した思想だけが価値あるものだ」というニーチェの格言とも呼応する。彼の立ち止まったところから、全く別の歩調で誰かが歩き出したとしても何の不思議はないのだ。
実際のところ、自然に対する人類の共感作用が権力構造を生むのだが、それが、さしあたって運命共同体の原型と言われる祭政一致社会であり、その内実は時代の叡智がどうあれ如何ともし難い恐怖への信仰である。所詮、どのしくみも権力サイドの時間稼ぎの方便でしかなかった。世界平和は戦争の全面停止であるけれども、さしあたってそれぞれのしくみを根底から見極めた上でなければ、相互理解は進まないであろう。形而上学といえども大地に固定した梯子を外されてしまったら空理空論に過ぎない。我々の住むテクノロジー社会にも常に新しい困難が付き纏う。逆に原始時代とは比較にならない恐怖を日々増幅しているかも知れない。博士が世界平和を提唱する所以もいわばそこにあって、「オルト協会」をモデルファイしながら、さらにわが身の問題を投入して拡大解釈したのが統一理論であった。以下に引用する美しいフレーズには博士の人類愛と学理追及の気迫に満ちた精神が籠められている。
困難や障害こそ、どんな社会にとっても力と健康の貴重な源泉であることを記憶せよ。我々がもし<薔薇の褥>に安住していたとしたら古今を通じて共同社会としては生き残れなかったであろう。これは私の強い信念である。
本書は中森岩夫(編・訳)により構成されたユニークなオムニバス版である。原題と著者は以下の通り。
「宇宙宗教」 アルベルト・アインシュタイン
「宇宙人との対話」 ヘルマン・オーベルト
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