写真の本質は内的言語を通してしか伝わらないものである。謂わば、沈黙が語りかけているわけだが、敢てその文章化を試みたのが本書である。芸術は冒涜なしに語れないと言われるが、勿論、そのことを承知の上でなされただろう文学的敬意に溢れたアプローチは、著者の誠実さが功を奏して感動的なオマージュとなった。これはよくある諸作家の作品やアンソロジーの単なる解説に留まるものではない。ましてや、堅苦しい写真論や作家論の類でもない。シュールレアリストとして特異な鑑識眼を持ち、一時期映像作家としても活躍した詩人・評論家の瀧口修造はこの分野の草分け的な存在だが、元々が普遍嗜好の彼には写真を造形芸術の一ジャンルとして位置づける野心があった。四半世紀遅れて登場した本書は著者の個人的体験に触発されたエッセー風のユニークな芸術論である。
本書は、「虚無の痕跡」と作者自身が命名したモノクロの映像世界への共感から始まる。日常の営みのなにげない風景の内奥に分け入り一連のドラマを摘出するシャッター操作は精神の外科医のようなメス裁きを思わせるが、それらをまるでロールシャッハテストのように読み取る著者の心象表現にはいささかの迷いもない。微細な描写力にはむしろ妖美さえ漂う。マリオ・ジャコメッリ、この聞きなれない名前の不遇な芸術家の作品世界=虚無の痕跡からは<死から生>への現実とは逆のベクトルが働きかけていると言う。衝撃的な「スカンノの少年」と題された作品に奇遇を得るや忽ち作者の追っかけとなり現地に赴いた著者だが、異界の干渉を再体験することで、隠された地球の聖痕・原初のトラウマとしてのスカンノ伝説はもはや打ち消し難いことを確信する。啓示に撃たれた著者の熱意によって、時間の死、生の停滞が間欠泉のようにあたりに散らばる今様黙示録の光景はこうして本書に写し取られることとなった。
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