梅田望夫の「ウェブ進化論」は、この種の出版物にしては、珍しく馬鹿売れしたらしい。著者はこの反響を充分考慮した上で、反論めいた自説を開陳。本書は、ウェブ社会のあちら側ではなくこちら側にウェイトを置いた、エンドユーザー論である。ウェブ社会の成り立ちを考えれば寧ろ当然のスタンスと言えよう。著者はコンシューマリズムをコミュニケーション・ツールとした今日的活況を「メディアルネッサンス」と呼ぶ。職場主義から自分主義へ、自分の存在理由が社会的価値となる社会。これは、いわば天動説に変わる地動説。しかし、この自己発信型の能力主義、良かれと思うことが裏目に出た場合は、たちどころにデジタル難民だ。アナログ貴族にしてやられてしまうかも知れない。何故なら、所有と言う概念規定が無効になるのは、富の集中が極限状態になる時でもあるからだ。即ち、リスク軽減の見返りが奴隷社会と言うことになる。無産者の連帯意識はバーチャルの海を漂う筏でしかない。その時、集合知がなんだったのか誰も考えはしない。技術万能は人を盲目にする。タダほど怖いものはないのだ。
本当の大変化はこれから始まる、「ウェブ進化論」はいわば総論。そして、Web2・0でビジネスが変わる。各論の始まりは誰もが知るとおり苦く、泣くも笑うも、その時になってみなければわからない。確かに天国はひとりひとりの心の中にある。
「Web2・0」はいいことずくめの合言葉、明るい未来の夢を約束するキーワードと言う事らしいが、これだけでは、出会い系サイトの「さあ、ここからお入り下さい」となんら変わるところがない。これで流行語大賞とは迷惑な話である。以下の同義反復的言説も文字化けしない限り、眠りを誘うだけだ。
ウェブに関する次世代概念の総称。定まった定義はないが「ユーザーの集合知を活用できる」「ニッチに配慮できる」「権利の共有性が保たれる」「システムどうしが相互利用性をもつ」「環境にかかわらず利用できる」「サービス提供と改善が同時進行する」・・ブログ、ブログ、グー、ZZZZZ,目を覚ませ!総理大臣。これぞ公約、ネチズン(情報ネット市民)の公教要理なのだ。
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