三人では世間話だが、もう二人加わると、それは「事件」と名の付くものになる。時の大統領とそのブレーンたち、アルカイダにイラクとなれば、ほぼ役者も出揃った感がある。しかし、9.11事件に端を発した武力行使、一体、これは「戦争」と言えるだろうか?矢鱈に問題解決能力を誇示したがるアメリカと、すべてがアラーの思し召しであるムスリムとでは、自分の影と格闘するヤコブのようなもの、テロリズム自体が大いなる幻影ではなかろうか。だからと言って、爆弾に話かけるわけにもいくまい。やはり、起こるべくして起こったこの「事件」、デモクラシーの根に触れる由々しき問題である、と「夜と軍隊」の作者は分析する。
日没ともなれば、どの影も異様に長い。アメリカの盲点が「国旗保守主義」にあるとは鋭い指摘だが、FBI、企業倫理、カトリック教会の三本柱を支える民意の低下で、全体主義が台頭しつつある、と文中至る所で警鐘を鳴らしている。そもそもデモクラシーと言う機械、精巧で毀れやすい。使いあぐねている癖に、押し付けがましい、と自国の欺瞞性を批判。しかも、当時の国情として、世界に誇る軍隊とテクノロジーを実証するのは時間の問題でしかなかった。地球のポールシフトは1万年単位だが、民族の力関係の逆転は5百年あれば足りる、と言うことか。
末尾では、歴史上で世界に冠たる帝国の王に就いて触れ、何と品位に劣ることか、と現状を落胆、読者の共感を誘う。かつて忌避した飛行服一式でぎごちなく正装し、航空母艦で得意げにポーズをとる現大統領と、陸海空軍の最高司令官でありながら、市民服で通した戦争の英雄・ケネディとは、一目瞭然、月と鼈の違いがある。しかし、−著者は一流の皮肉をこめて締め括る−頭一つ抜き出た鼈であることを、私たちの誰一人として否定できないのが、デモクラシーの真の悲劇である、と。
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