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日付:

 

2009/7/12

 

タイトル:
八十路から眺めれば
著者:

マルコム・カウリー/小笠原豊樹(訳)

出版社:

草思社

書評:

 

 老年は語るものではなく味わうもの、50歳や60歳そこらの物書きではまだまだ文学的な語り草の域を出ない。ところで、本格派はどの分野でも自己の最高の演技のために舞台の袖で爪を磨いているものだが、80歳を迎えて上梓された現役ジャーナリストの本書には詩や小説では味わえないエッセーならではの醍醐味がある。ちなみに若さは一様に人を魅了し活気づけるが、老いの世界は臨機応変でしかも個性的である。現実主義的な塩胡椒の味付け次第では怪物にも幼児にもなれるだろう。幸い本書は、著者の該博な知識と広範な交友関係によって、良くも悪くも老人症候群の興味ある事例に事欠かない。

  大地に根を蔓延らせたまま、周囲とのしがらみを断ち、「もうそろそろ休もうではないか」と引退を決意するに至る充足感も満更棄てたものではない。その密やかな場所に回想が纏わりつくことで、「死」の観念が程よい緊張感を醸しだすことにもなろう。何故なら、老年ならではの人生の頂きでは、「死」は一瞬の晴れ間のように、過去の景観を一望の下に曝け出すからだ。そんなとき、ほんの少し内部の声に耳を傾ける用心深ささえあれば、誰しも納得する筈である。−老年は人生の無駄ごとではない、と。

 受け容れようが拒もうが、時代は若者を必要とする。だが老年には時代との相性というものがあるのだ。有史以来の文化人類学の説くところによると、狩猟民族と農耕民族では、加齢に就いての意識は全く異なる。足手惑いでしかない生活敗北者も風俗習慣が変わると経験豊なカリスマ支配者となる。定住社会に於ける豊饒祭は高齢者崇拝がその起源にあるのではないか。経済一辺倒の格差社会で、しかも少子高齢化の今日的情況では、必ずしもバラ色の近未来を描ききることにはならないのだが、著者の職業的な好奇心は老年の理想を求めて、ボーボワールの残酷な心理描写からキケロの自画自賛の世界まで、複雑多義に揺れ動く。そして、その並外れた才筆もさることながら、老年の典型と規範に縁取られたクリエイティブな意志の力を奮い起こして、最終的には確かな老年像を浮かび上がらせもするだろう。

 著者の正確無比なリポートはそのまま一般論としても通用する。老醜という生理的な側面を逆手に取り、老成を文化的特権として徒に誇示せず、気配りのよい政治色で周囲の共感を呼びさえすれば、人は誰でも愛すべき存在となる。気付かぬ振りでやり過ごすのではなく、まともに見据える勇気を以って望むなら、老年はエスプリの宝庫でもあるのだ。その巧まざるユーモアこそ人生という戦場で勝ち取った栄誉ある戦利品といえるだろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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