井上靖生誕百年にちなんでの出版らしいのだが、なんとも白々しく思えてならない。本書にとっては編集部の悪い冗談か、こじつけ以外の何物でもないだろう。早くから自分の娘の才能を見抜いていながら出版の運びとならない周辺の事情にやきもきしながら他界した父、その墓前に96歳の老母の手を通して捧げられた。一読、これは素晴らしいと感じた。もっとはやく自分の天性に目覚め、本書が世に出ていればよかったのにと、惜しまれてならない。吉本ばななは親の七光りの典型で、良くない例だが、これは反対の意味で残念だ。著名人の娘として父の偉業を感じ取る心の正しさから謙虚に一語一語が紡ぎだされている。
それにしても、なぜ、闇が底をつくまで降りてゆかなければならなかったのか?「夜の目覚め」は不肖の娘時代を密葬するレクイエム、毒食らはば皿までではないが、どんな目に合おうとも支えてくれるものがあったからこそとことん味わいつくせた人生の不条理。ひとけない砂浜でほら貝を手に忘却の淵を覗きみるとき、朧に浮かび上がる幼い日の記憶の残影は、近寄り難い父の大きな背中であろうか。だが、この詩集一巻で、初夏の風に吹かれ、打ち水に触れて悦ぶ朝顔のように作者はポエジーの精となって甦った。名散文家の残した良質の種が伸び盛りを失したものの鮮やかに実を結んでいる。おとがめなしの現代詩の新奇さではない、これこそ言葉の正しい意味で「新しい詩」である。生活詩人・高田敏子、名前は忘れたが「表札」のオバサン詩人、スーパーの買物の手さばきの良さを見せ付けられて何が面白いものか。かの東洋贔屓の象徴派詩人・マラルメはいみじくも「支那の茶碗に浮かび上がる幽暗な夢」と詩を定義している。
[第三章]の最近作群は何れも力作には違いないものの長編ゆえに作者本来の詩魂がトーンダウンしていて類型性を免れないが、「水辺の輝き」と題された詩には自身の正直な眼でしっかり捉えた優れた文明批評がある。
いつかは止む米兵の攻撃よりも
山の峰々が雪を戴かないほうが怖いと
土地の長老は乾いた山々に瞳を向けた
春になっても雪解け水が流れない
天よ 水辺の光を 蘇らせて
この詩が成立する背景には地下水脈のように蟠る屈折した彼女の人生があり、なによりも時折きらりと光る感性の切り口がある。次の一篇はその典型である。
ただひたすら耐えるんだ
飛べない鳥たちが
いつもそうしてきたように
草むらにそっと隠れて
傷の癒えるのを待つ
弱った獲物に狙いをつけて
襲いかかってくる獣たちの
鋭い牙に脅えていても
いつか飛び立つはずの
空の青さを夢みて待とう
「飛べない鳥たち」
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