トップページ
 古本ショッピング
 書評
 通信販売法に基づく表記
 お問合せ


 

 


日付:

2013/01/21

タイトル:
容疑者ケインズ
著者:

小島寛之 

出版社:

プレジデント社

書評:

 

 

 自然に就いての知識は科学となるが、経済に就いての知識が科学的かどうかはわからない。そのわからなさが精緻になるだけでは技術とは言えまい。しかし、ハーベイロードの前提に基づくケインズの荒削りで的確なアイデアが公共事業の有効性を一時的にではあれ技術的に証明した事実は否定出来ない。昨今は有効需要の創出どころの話ではない金余り・物余りの時代である。縮小均衡はやむを得ないとしてもデフレの元凶であることに変わりはない。総量規制がどうのという問題以前に、デフレ不況といえば慢性のマイナス・サム現象の典型なのだ。技術革新ならまだしも効果が得られようが、今日ではケインズの提案も辛うじて失業対策となるに過ぎない。どちらにせよ経済活動はあちらを立てればこちら立たずだから、もう勝手にしろ!がせいぜいのところであろう。当今流行の市場原理主義が著者の学問的立場のようだが、この学説が経済合理性に寄与するものと考えられてから既に久しい。ところで見える手で加減乗除さえうまくいかないのに見えざる手に一体、何が期待出来るというのだろう。遺憾ながら本書は、この新自由主義者こそ性悪な見えざる手であり、多国籍企業の諸国乗っ取りに一役かっていることには触れようともせず、ケインズの貨幣の流動性を重要なキーワードとしながら、価格操作による在庫調整が経済活動をトーンダウンさせている見やすい道理にさえ気づこうとしていない。

 よく、国道にホイールキャップが転がっているのを目にすることがある。プロの整備士やマニアなら、これを一瞥しただけで車種や製造年月日、走行距離までぴたりと言い当てることが出来るかもしれない。その意味では、この小冊子からケインズによるマクロ経済学の全貌を正確に再現出来る碩学がいても一向おかしくはないのだが、私のような素人には些か間の抜けた偏向ぶりが気になるだけである。経済活動を長距離ドライブに喩えるなら、諸々の経済理論はたかだか交通標識に過ぎないのではなかろうか?慢性化した交通渋滞に交通規制をかけても仕方があるまい。途中経過報告と後手に回った臨床処置以外にみるべきものはない。経済のみならず制度化されたものはすべて科学としては未熟児である。又、複式簿記は資本主義社会の心臓部として税務会計上の大発明とも言われるが芸術ではない。ゲーテは芸術的にその感想を述べただけである。アドホックな解決がアドホクラシーの結果であるか否かの判断は時代が決めるとしても、文豪ジョイスのみごとな短篇「イーヴリン」が誘惑の数学的定義の証明ゆえに傑作なのだと主張されても誰が本気にするだろうか? 選好と意思決定のメカニズム論も大いに結構である。しかし、人間の行動規範を経済効果や投資効率に数値化することで何か失うものがあるとしたら、人間性そのものであることはほぼ間違いない。嘘発見器の発明でひとが嘘をつかなくなったり、経済占いのような科学が常套化した世の中で心のあり方が問われるとしたら、本末顛倒以外の何物でもないだろう。その証拠に科学の現状レベルでは木の葉の舞い落ちる地面をぴたりと言い当てることが出来たら内政干渉があったことになるらしい。不確実性ゆえに我あり、従って、木の葉にとっては迷惑な話なのである。



 

 

 


全目録 海外文学 日本文学 芸術・デザイン 宗教・哲学・科学 思想・社会・歴史 政治・経済・法律 趣味・教養・娯楽 文庫・新書 リフォーム本 その他