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日付:

2005/08/05

タイトル:

夕鶴 ほか一篇 

著者:
木下順二
出版社:
未来社
書評:

 宇宙からの帰還が話題を呼んでいる。タイムカプセルまでもう少しで手が届く。ところで、「千年も一場の夢」といえば浦島伝説。SFの草分けとして名高いだけでなく、量子論的解釈もある荘子とほぼ互角の中身である。夢のアイディンテイティ−を一捻りすればメビウスの輪が出来あがる。この出逢いという特異点の考察、もしかしたら浦島に軍配があがるかも知れない。

 迷信から科学へ、この遅すぎる亀は、子供たちの難を逃れて海へ、やがて恩返しに浦島を龍宮へ誘う。もし玉手箱が子供たちの手で開けられたらどうだろう。そもそも恩返しとは何なのか?

  いまでこそ一極集中と過疎化は深刻な社会問題だが、かっては安全装置が働いていた。農・漁村を問わず、将来、共同体に帰属する子供たちに越境はタブーであった。そんな浜っ子の憂さ晴らしに恰好の玩具といえば海亀である。この波打ち際のト占いゲーム。−引っくり返された甲羅が波に攫われるか、砂場で干上がるかは偶然という名の神のご託宣次第だ。いわば神聖な儀式である。浦島太郎の場違いな行動は子供たちにとって恨み渾身の狼藉というほかはない。千年といえばざっと十世代に亘る長い年月、この「掟破り」の男は胡散臭い眼で敵視され続けることになる。もし呪術の目隠しが外され、彼の評価が一転して改革者となるようなら、もう一人の浦島太郎が現われなければならない。−浦島が浦島を語るのだから。こうして宇宙的な認識における事件の一回性という奥深さと、もしかしたら歴史的嘘かも知れないことを、この説話を通して私達は思い知らされることになるのだが。

 さて民話を純文学にアレンジして独自の世界を創造した作家が木下順二である。わけても「夕鶴」は今では押しも押されもせぬ名作。−創作モチーフを「テーマ化」で貫き通した作者の近代的手法で完成度の高い作品となった。1949年の初演で爆発的な人気を博して以来、その評価は高まるばかりだ。西欧偏重の方法論と本質上の誤りに気づき、民族感情に目覚めた彼は、この成功に力を得て、欧化の横穴を身体ごと抜け出し、土着性を拠り所として、専ら我国古来の民話を掘り起こすこととなる。もともとシェイクスピアの研究家として西洋の事情には滅法詳しかっただけに、文化伝統の違いにも敏感だった。こうして図らずも日本回帰の先陣となったわけである。

 物語の舞台は人里離れた寒村の一僻地。主人公は知恵遅れの与ひょう。民話によく出て来る、それ自体では一考に価しないキャラクターだ。しかし、彼を取り巻く村人の演出が何とも心憎い。この同時体験者によって主人公のイノセントはいやが上にも美化されてしまう。作者の技量というものだろう。越境がタブーであれ、自分が疎外者であれ、与ひょうにとってどうでも良い。唯、母性を知らない童心のまま、鶴の化身である通に恋心を抱く。通の形見の品をひしと抱きしめながら泣き崩れる、その底なしの純真さはもう間違いなく天のものである。

 暮れゆく大空と辺境を結ぶ妖美を極めた異類婚。都大路の華やぎは与ひょうの圧倒的な存在感の前に霞んでしまう。戯曲というものを知り尽くした作者の余裕も確かにあろう。しかし象徴表現の深さと力強い構成美には、それだけではない何か、作者だけが持つ天性の厳しさが感じられてならない。

 「彦市ばなし」は前作とはうって変わったコミカルな饒舌体で、情味溢れる小話としてのまとまりがある。彦市と天狗の子の互角の争いも痛快だが、信じたものなら何でも存在してしまう殿様のウルトラ強迫観念には文句なしに脱帽である。その破天荒なエネルギーに振り回されて彦市は休む暇もない。この実体と虚の比較相姦図、−空っぽの監視体制だからこそペナルティを強化すべきなのか。だが、どうってことはないのだ。唯、蟻地獄のような自家撞着の罠に堕ちて三者三様にもがき続けるだけだから。殿様・エアリアル・下下の者の釦の掛け違いによる抱腹絶倒のコラボレイション。もしそんなものがあると知ったら、隠れ蓑がほんとうに欲しいのは、殿様であるに違いない。この風刺の効いたドタバタ劇、ぴったりな表現形式が狂言というのも頷けそうな気がする。

 

 

 

 


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